【女性向け】高校入試の自己表現3分スピーチに使える例文サンプルを15選紹介!

高校入試自己表現例文3分

私が中学生活で頑張ったことは、部活動です。在籍していた美術部は学校の中では地味な部活で、私が入部したときは部員が5人という少ない部活でした。しかし、2年になり、私が部長になり、美術部の活動内容を部室の中で絵を描く活動にとどまらず、外部に出て絵を観る活動も新しく取り入れることにしました。例えば美術館や博物館、美大生の展示会、デパートでの展示会など様々な催しをリストアップし、興味のある部員を集って見学する活動を始めました。最初は部屋で絵を描いていることだけだった部員も、立体的なアートを見ることが好きになったり、趣味になったり、部員同士で「観る」活動についての交流や会話が増え、それによって外交的な面もある活動的な生徒も集まる部活になっていきました。私が中学生活の部活動で取り組んだ、新たな活動を取り入れることについては、周囲の理解を得たり金銭面での工面に関して苦労をすることが多かったのですが、少しずつ、周囲を取り込んで両親や学校の先生に援助をしていただきました。新しい取り組みには地道な努力が不可欠なのだと学んだことが中学生活3年間の収穫です。

 

私が中学校の3年間で胸を張って頑張ってきたといえるのはやはり部活動です。私は3年間、卓球部に所属していました。試合の成績は決して良いとはいえず、特に1年生の時は球拾いと補欠ばかりでしたが、それでも少しずつ実力が身に付いて、試合で勝てるようになった時は嬉しかったです。私が卓球を始めたきっかけは、友人に誘われたことでした。興味本位から二人で入部しましたが、私の中学校は卓球の強豪校で練習も大変厳しく、友人は数か月で退部してしまいました。私も最初の数か月は辞めることばかり考えていて、いつも顧問にしかられていましたが、友人の退部をきっかけに、「ここで諦めたら、何をしても続かないんじゃないか」と思うようになりました。それからの私は、厳しい練習に必死でしがみつくようになりました。そうすることで、厳しく怖かった顧問とも次第に打ち解けるようになり、勉強で苦手な分野も根気よく取り組む姿勢が身に尽きました。今、卓球部を引退して思うのは、この3年間で精神的に大きく成長できたということです。高校生活でも、この経験を活かし、前向きに何事にも粘り強く取り組んでいきたいと思います。

 

私は中学時代に近所のゴミ拾いを頑張りました。近所は高齢化のため自治会もあまり機能していません。そのため高校生やサラリーマンの人達のポイ捨てが後を絶ちません。田んぼや畑や側道のミゾには大量の空き缶やコンビニ弁当のゴミが散乱しています。母親にそれらのゴミについて市役所に連絡してもらったところ、自治会でどうにかしてほしいと断られてしまいました。私は放置されているゴミを見て居てもたってもいられなくなり学校の下校時にゴミ拾いをすることにしました。学校に登校する際に大きめのゴミ袋をバックに詰め、帰りにゴミ袋に入るだけゴミを詰めて下校するようにしました。晴れの日、雨の日関係なく、ゴミ拾いを続けました。3ヶ月経過したあたりから見違えるほどゴミが少なくなりました。そんなゴミ拾いについて母親を通じて自治会長さんに相談したところ、月に1回ですが自治会メンバーでゴミ拾いをすることに決定してもらいました。1年経過した今では近所で捨てられたごみをほとんど見かけなくなりました。継続は力なり、自分の行動次第で周りも環境も変えられると思っています、高校生活もそんなふうに送っていきたいです。

 

わたしが中学3年間で頑張ったことは、ボランティア活動です。ボランティア部に入っていたことがきっかけです。わたしはそれまで人と関わることが苦手でした。しかし初めて体験したボランティア活動で様々な年代の方々と会話をしてボランティアをした際に、今日はありがとうね、と言われた時に人と関わることの楽しさを感じました。それからは臆することなく自分から計画を立ててボランティアをしたり、人と積極的に会話ができるようになりました。上手く言いたいことが通じないことも多々ありましたが、たくさん経験をしていくことで慣れていきました。ボランティア活動のおかげで海外の方と関わることもできましたし、高齢者とも関わることができました。この体験はわたしのこれからの大きな糧になると思っています。また、ボランティア活動を通して高齢者の方々の生活に興味を持ち、社会の問題や福祉の勉強にも興味を持つように成長しました。なのでこれからの高校生活では福祉分野などの勉強にも挑戦していきたいです。

 

私は、幼い時からアイドル歌手が好きになり、その影響から歌うことが大好きでした。学校では他のどの教科よりも音楽の授業が大好きで、毎授業、誰よりも張り切って積極的に学んでいたと思います。音楽好きなので、小学校では当然のように音楽クラブに入りました。ですがピアノを習っていなかったので、楽譜が読めず苦労しましたし、与えられる楽器はタンバリンのような合奏をしても活躍の場が少ない打楽器ばかりでした。それでも、中学に入るとどうしても金管楽器のホルンを担当したくて、吹奏楽部に入部後はホルンを希望し、先輩に強く懇願したためかホルンを担当させてもらえることになりました。そして全く読めない楽譜も吹奏楽部の先輩に教わるだけでなく、自宅での独学で身に着けていき、しまいには中学の音楽の成績は、10段階での10の評価を得るまでになりました。10の評価については、中学三年生になってからのことでしたが、私の当時の学校では、音楽での最高評価を貰えるのは、小学校でも中学校でも、ピアノを幼い頃から習っている女子ばかりでした。かくいう私はピアノも習っておらず、音楽の英才教育を受けて育たずしても10をとれたのです。好きな音楽を好きな気持ちのまま、他の誰にも遠慮なく学び進めて行った末、音楽の才能を自分で育んでいけたこの経験、自分でも誇らしく思っています。

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私が中学校3年間でがんばってきたことは吹奏楽です。 私は元々音楽が好きで、中学2年生までピアノも習っていました。そのこともあって、部活は音楽関係がいいと思い、吹奏楽部に入りました。1日の流れとして、各楽器のパートレッスン、合奏がありました。私は打楽器を担当しており、楽器を運ぶことが多く、技術面だけでなく体力面でも大変でした。苦労したのは、リーダーシップを求められたことです。同級生の部員でも派手な格好をしたりする人も居たので、たとえ仲が良くても注意しなければなりませんでした。注意を受けた相手は反発するし、こちらも友達という認識があるので、そこの割り切りは難しかったです。ですが、何度か「部員としての注意」を続けることで、自分がなぜ注意しているのか分かってくれる人も増えたので、それはとても支えになりました。コンクールでは1年生の時は金賞・2年生の時は金賞に近い銀賞・3年生の時はギリギリ銅賞ではない銀賞の結果をいただきました。1年生の時は特に「金賞」に貢献していなかったため、周りが喜んでいても、喜びの実感は湧きませんでした。学校内のイベントになりますが、二つ目は3年生の頃に文化祭に向けてバンドを組んだことです。こちらも吹奏楽と同様に人間関係に少し悩んだりしました。また、多くの人の前で歌を歌うという今までに経験していないことに挑戦し、実際に歌も棒読み状態になっていたとは思うのですが、周りが「すごかったよ!」と褒めてくれたので、そこで達成感を感じることは出来ました。

 

私が中学校生活の中で頑張ってきたことは部活動です。そこで学んだことは「諦めずに努力をする」です。入学してからソフトテニス部に入りました。最初はなかなか上手に打つことができませんでしたが、毎日練習して徐々に打てるようになり、ソフトテニスの楽しさを知り「もっと上手になりたい」との思いで毎日練習していました。休日は午前中に部活活動で練習、午後は自主練習をするため学校に行き時間が許される限り練習していました。いろいろな大会に出場しましたが、なかなかいい成績を残すことができませんでした。「上手になりたい」、「テニスがしたい」という気持ちが強く毎日練習をしました。最後の地区大会では県大会まで後一歩というところで負けてはしまいましたが、今までで1番良い成績を残すことができました。負けたことは悔しかったですが納得いく成績を残せたことはとても嬉しかったです。毎日練習を続けて努力した結果が成績としてでたのだと思いました。今では中学校生活の中で一番の思い出となっていますし、いい経験をしたと思っています。この部活動の経験を高校生活でも活かして日々努力していきたいです。

 

私が中学校3年間で頑張ってきたことは部活です。バレーボール部に所属していました。元々ソフトバレーを小学生の頃やっていたこともあり、バレー部の体験入部に行きました。そこで、あまりの先輩達の厳しさに入部を辞退しようと思ったのですが、小学生の頃に一緒にソフトバレーをしていた先輩が「何かあったら絶対私が守ってあげる」と言ってくれて入部を決意しました。そこから、最初は先輩達の厳しさに怯えていましたが毎日練習を一緒にしていると、厳しいだけではなく冗談で笑わせてくれたり、励ましてくれたりなど優しい面もあることに気づけました。そんな先輩達が大好きになり、毎日練習していると一年生で唯一ユニフォームを持たせてもらい試合にも出させて頂けるようになりました。大会では大阪府8位までいくことができました。先輩達が引退した後は部長としてバレー部を牽引してきました。人は見た目だけで判断してはいけないこと、大事な人のためには一生懸命になれること、指導の仕方などを3年間の部活を通して学びました。

 

私が中学生時代に頑張ってきたことはテニスです。テニスを始めたきっかけは友人でしたが、3年間部活動を通して努力することの大切さや人と関わることの楽しさを覚えました。雨の日でも練習があり、先輩との関わり方が難しく辞めたいと思うことも幾度となくありましたが、周りと励ましあって続けることができたため、私たちの学年は誰1人欠けることなく引退することができました。テニスの大会で入賞することができ、副部長としても部長と周りのサポートに全身全霊を注ぎました。時には部員同士でぶつかり合って話し合いのために練習ができない時もありましたが先生を介さずに話し合いをすることで自分たちのことは周りを巻き込まずに解決する力がつきました。2つめは清掃活動です。学校の近隣を清掃しており、普段の通学路のゴミや吸殻などを捨てていました。自分のゴミではないため何で私がやらないといけないんだろうという気持ちになったこともありますが、周りを綺麗にすることで地域の方々から感謝されることも多くあり、人を喜ばせることの楽しさを学びました。これらの経験を活かして高校生活でも努力を続け、周りを楽しませることができるような存在になりたいです。

 

私が中学校三年間でがんばってきたことは部活動です。 私は吹奏楽部に所属していました。 きっかけは定期演奏会に行き、そのとき聞いた音楽に感動し、私も一緒に演奏したいと思い、入部しました。 トロンボーンパート所属になりましたが、腹式呼吸ができず、音が小さいと何度も指導を受けました。 それから毎日腹筋五十回、合わせて、腹式呼吸の練習をしました。 次第に音が大きくなり、演奏会で任されるパートも増えていき、嬉しかったことを覚えています。 その努力も合わさり、私は部長に選ばれました。 部長として何ができるのか、考えたとき、私は努力する姿勢を後輩に見せること、そして、部の雰囲気をより良く保つことだと考えました。 夏の全国吹奏楽部コンクールを終えたあと、楽器技術の向上だけでなく、基礎体力を鍛えるため、また、部の団結をより良くするためにチーム対抗のマラソン大会を開催したこともあります。 走るのが苦手な部員もおり、不穏な雰囲気になったこともあります。 しかし、そのときこそ、私が一番に声を出しました。 「がんばれ」「あと少し」、、それが部員全員に広がり、お互いに応援し合えたことは貴重な経験となりました。 そして、次の全国吹奏楽部コンクールでは金賞を取ることができました。 私が部員全員の応援団であるように、部員全員は私の応援をしてくれました。お互い支え合う、この雰囲気が生み出されたからこそ、そうした金賞を得ることができました。 これはこれからの人生の糧として、私は大切にしていきたいです。

 

私が中学校3年間でがんばってきたことはバレー部での活動です。小学生の頃は陸上をしていたのですが、中学校には陸上部がなく、仲の良い友達からバレー部に誘われて入部しました。陸上は個人競技だったので自分の頑張り次第でしたが、バレーは団体競技なので、仲間とともに心を一つにして切磋琢磨する必要がありました。先輩方が引退する際、私は副部長に任命されました。喜びよりも責任感を感じました。副部長の私よりもさらに責任感を持つ部長、みんなをまとめなくてはならないという責任感から厳しい言葉も出ました。それが私達にはかなり厳しく感じました。私はみんなの気持ちも部長の気持ちも分かります。しかし、どうやってお互いの心の距離を縮めたら良いのか分かりませんでした。部長からも相談され、みんなからも相談され、それぞれと話をしますが、結局雰囲気が良くなる様子がなく困りました。一人ではどうすることもできないと感じ、思い切って部活のミーティングで「1回みんなが思ってることお互いに言ってみよ!」と切り出してみました。するとそこから柔らかい雰囲気で話し合いが始まり、最後にはみんな号泣しながら自分の意見を伝えていました。終わってみるとみんなスッキリとしていて心が一つになれたような気がしました。私は副部長を経験することで、言葉には意味を付け加えなければ誤解が生まれてしまう、お互いに尊重し合いながら意見を言いあうことが大切だと学びました。それから部内の雰囲気は良くなり、みんなで決めた目標に向かって楽しく厳しく練習を行い、良い思い出としてバレー部を終えることができました。

 

自分は勉強も頑張ってきましたが、それよりももっと力を入れてきたことはバレー部での活動でした。中学生での3年間ひたすら今まで自分が積んできた練習と共に皆で力を合わせてチームワークを大事にし、尊重しあい、試合ではどんな困難でも皆で声を掛け合ってともに助け合い力を合わせてきました。そのかいあって中総大などは本当によく頑張って良い成果を残すことに成功し、準優勝までに上り詰めて、自分のなかのプロ意識がますます高くなりました。高校からはさらに実績をどんどん積み上げて高校をより強豪の有名校にし、どこにも負けない素晴らしい実績作りを重ねたいという気持ちがあります。中学では地区大会で準優勝止まりでしたので、その悔しさをこれからバネにしてどんどん勝ち進んでいきたいです。中学でも本当は全国大会まで行きたいという希望がありました。高校ではその意識を更に高めてこれからの自分の目標をもっとステップアップさせ、より自分を向上させたいと強く感じています。

 

私が中学校3年間で頑張ってきたことはバスケ部の部活動です。私は「継続は力なり」という言葉を恩師から教わって以来、その言葉を信じ続けた結果、主要メンバーの一人はもちろんキャプテンという立ち位置になりました。主要のメンバーに入る為に、普段の練習以外にも自主練、親戚が入っている地元の活動にも参加させていただき、他の人よりたくさん水面化で地道な練習をしてきました。それは本当にキツかったですが「継続は力なり」を信じて続けた結果、主要メンバーに入り、自分達の代になるとキャプテンとして任されるようになりました。正直、辞めたい、もっと遊びたい、など色々と思うことがありましたが続けて良かったと思います。キャプテンとしてチームをまとめることも大変ではありましたが、今まで頑張ってきたことで皆から認めていただき、みんなも自分についてきてくれました。最後の大会では惜しくも県大会には出れませんでしたが各チームから選ばれる選抜チームに入ることができたりと納得いく成果を残すことができました。なので高校生活でも「継続は力なり」をモットーにこれからもバスケ部で活動していきたいです。

 

私が中学生の間に頑張ったことは友達関係です。元々人見知りで友達が少なかったのですが、中学1年生でバドミントン部に入部し、他のクラスの人や他の学校から来た子とも仲良くなり、部活の先輩とも話せるようになりました。一年生の後半に不登校気味になり部活を辞めてしまい、人と関わる機会が減ってしまったので、委員会に入り後輩、先輩、委員会の先生と話す機会が増えました。3年生では殆ど不登校を克服し友達と勉強会を開いて学校を休んでいた間の勉強を教えてもらったり一緒にテスト勉強に励みました。そして3年間通して“行事を全力で楽しんで頑張る”ということを心掛けました。運動が苦手でしたが体育大会は全力で練習しました。私は大きな声を出すのが苦手ですが合唱コンクールは大きな声で歌いました。また小さな事も全力で頑張りました。例えば1年生のときはテスト前もあまり勉強をしていませんでしたが、2年、3年になってからはテスト一週間前には提出物を終わらせ、余った時間で自由にテスト勉強ができるようになりました。これが中学校生活で頑張って思い出に残った出来事です。

 

私が中学校生活で頑張ってきたことは一日3時間以上は勉強をするということです。特に中学3年生になってからは入試にも備えて、模擬試験の結果を見て、自分がどの教科が苦手かなどを意識して、間違えやすい問題などを中心に勉強をしてきました。受験シーズンには塾にも平日は毎日通っていたし、夏休みは夏期講習、冬休みは冬季講習、そして塾の宿題もきちんとして、家にいる時間のほとんどを勉強する時間にあてていました。定期テストでも、間違えた問題があれば、後で必ず解けるようにして、100点に近い点数が出せるように頑張って来ました。勉強以外に頑張ったことは、美術部の活動です。3年生になってからは、美術部の副部長になって、部のみんなと仲良くするようにしていました。もちろん作品作りにも力を入れて、少しでも、自分の納得のいくようなものを作れるように、面白いアイデアを考えたり、作品のモチーフを考えたりしていました。時には賞をもらって嬉しいこともありましたし、中学校生活の中では特に楽しんで出来たことだと思います。